鬱(うつ)はなぜ起こるのか?(Dhammacast)
「鬱(うつ)はなぜ起こるのか?」(38分41秒)をダウンロード
2008年7月19日「名古屋初期仏教デー」(日本ガイシフォーラム)でのスマナサーラ長老のご法話より。鬱はなぜ起こるのか? 理性の欠如がもたらす鬱病社会、「怠け」という猛毒、喜びが脳と心の栄養、など短いご法話の中に現代社会の病理を余すところなく分析し、そこから脱出する道までが見事に説かれています。
※法話メモは↓下のリンクをクリック!
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2008年7月19日「名古屋初期仏教デー」(日本ガイシフォーラム)でのスマナサーラ長老のご法話より。鬱はなぜ起こるのか? 理性の欠如がもたらす鬱病社会、「怠け」という猛毒、喜びが脳と心の栄養、など短いご法話の中に現代社会の病理を余すところなく分析し、そこから脱出する道までが見事に説かれています。
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「最高の心とは?/嫁姑問題はなぜ起こる?他」(48分53秒)をダウンロード
2008年6月21日に開催された名古屋初期仏教デー(日本ガイシフォーラム)でのスマナサーラ長老のご法話音声(質疑応答)を2回に分けてDhammacast配信します。第2回目は、前半とは打って変わって、子育ての悩み、嫁姑問題の原因と対応法など、地に足のついたやりとりとなりました。
「当たり前を認める智慧、『いま・ここ』で幸福になる道」(57分23秒)ダウンロード
2008年6月21日に開催された名古屋初期仏教デー(日本ガイシフォーラム)でのスマナサーラ長老のご法話音声(質疑応答)を2回に分けてDhammacast配信します。第一回目は、輪廻についての質問への答えを通じて、無常を理解しようとしない、私たちの「あべこべ思考」への鋭い批判が展開されます。
「KY(空気読めない)の自分をどうべきか?」(54分37秒)をダウンロード
Q:瞑想実況をするときに、言葉にあわせて動いているような感じになってしまうのですが……。
命とは「感覚」のことです。感覚器官(六根)によって感じる波動が違うだけで、肉体に生まれているのは同じ「感覚」というシステムなのです。分析すれば単純なことです。ヴィパッサナー瞑想はその感覚というシステムの研究です。生きるとはシンプルなことである、と発見することなのです。
2月24日(日)、ゴータミー精舎ヴィパッサナー冥想と法話の会(スマナサーラ長老指導)での質疑応答メモです。
実況中継と感覚がずれてしまう
実況中継と感覚は一緒になるように、いつでも気をつけていなければいけない。それが挑戦です。「慣れた」と思うのは危険です。心は「いま・ここ」から脱線したがるのです。妄想したがるのです。心のからくりに負けないように。
慈悲の勘違い
「生きとし生けるものが幸せでありますように」と思ったからといって、その通りにならない。慈悲の冥想は自分の心を育てる修行です。自分が清らかな気持ちを育てることです。願ったら叶う、という神秘・迷信は捨てなければいけない。ブッダは加持祈祷や占いを「畜生にふさわしい生き方」と呼んで捨てたのです。慈悲は自分の心を育てる修行です。
儀式儀礼と宗教の違い
儀式儀礼は犬猫にもできます。宗教のあるべき姿は、心清らかになるようにと人を育ててあげること。心が命ですから。
他人を許せない
私は不完全であり、不完全な人間の中で生きているんです。しかし、私たちは、自分のことはすぐチャラにする。他人のことは決して許さない。俺はさんざん嘘つくがオマエはみじんも嘘つくな、という性格で生きています。これは、いかにだらしない性格かと気付かないといけない。どんなに侮辱されても恨みを抱かない人格者に、慈悲の瞑想でなれます。
世界を守る「親心」
子供の幸福を願う親の優しい気持ちで、世界は破滅せずに済んでいる。だから政府ではなく親に感謝すべきです。
子供に道徳を説く
仏教は善悪について普遍的な価値観を教えています。子供が生まれる前に親が真理を知っておけば子供は助かります。
仏教はフィルターを提供する
学校や社会や周りが何を言おうが、普遍的な善は行うべし。悪は止めるべし。周りの機嫌を損なわないために道徳を破ってはいけない。環境の中で生きている我々はフィルター持った方がいい。悪いものは受けず、善いものだけ受け入れるフィルター。仏教はフィルターを提供しています。
自由な教え
仏教は自由な教えです。道徳のフィルター持っているのだから、心を守っていれば大丈夫。(こころの)環境汚染を心配しないでどこでも行けます。他宗教と違って、仏教には「心の自由」があります。
道徳の基準
仏教の道徳基準は次のようなものです。自分の、周りの、一切生命のどれかの不幸になることだったらやめる。一部が幸福になって一部が不幸になることも止める。その上で、自分の、他人の、一切生命のいずれか~全体の幸福になることは行う(善行為にはレベルがある。他を不幸にしないならば自分の幸福を追求することが正しい。自・他の、自・他・一切生命の幸福に繋がる行為はより大きな善である)。何の幸福のためにしているか自覚する。それは善悪を「結果」で判断するフィルター。善悪を「心」で判断するフィルターは、貪瞋痴があるか否か。貪瞋痴が入った行為は悪。入っていない(不貪不瞋不痴)行為は善。行為の結果か、心の汚れか。二つのフィルターを使います。
質問の作法
質問する人のなかに、あらかじめ自分で二択・三択・YES/NOなど答えを設定する人が多い。それは答える人の自由を奪うことです。「自分の思考の範囲でしか答えを受け取らないぞ」という意志のあらわれです。質問しておきながら、答えを受け取る器を壊していることです。真理に対して、心を閉ざしていることです。残念ながら、ブッダはあなた方より遥かにレベルが高いのです。あなた方が考え付くような凡庸な答えは出さないのです。だから、自分から真理を受け取る器を壊してはいけません。
仕事の焦りをなくす方法
皆、焦らないようにしたい、落ち着きたいと思っています。しかし世間で言っている落ち着きとは、「無知の落ち着き」です。生命は本来無知だから、マンネリになりたいのです。それで頭がどんどん悪くなって、堅くなります。変化に対応できなくなるのです。自分という存在は、毎秒毎分新しい自分です。その都度、適応しないといけない。その都度、正しく適応できるなら正しい生き方をしているのです。仕事をしていたら、毎日問題が起ると思った方がいい。新しいわけ解らないことがあると覚悟しておけばいい。そうすれば、いつでも「期待通り」になりますから。それで最初の焦りが消えます。
次に、自分の目の前に時計を置いておくこと。最初の一分で何ができるか。次の一分で何ができるか。というふうに一分刻みで仕事をしていけば、何のことなく時間内に終わっています。焦らないのです。デジタル時計を見て仕事すると整理整頓されて効率があがります。なぜ焦るのでしょうか? 先のことを考えるから焦るのです。現実を見ると焦らないのです。現実を見て、順番でものごと見る人は焦らないのです。
新しいものごとに挑戦しようと生きる人は幸福になります。それが人間らしい生き方。
ワンパターンに生きようとすると不幸になるのです。それは動物の生き方だから。
「能力向上」の方法なんて成り立たないのです。正しく仕事をすれば、能力は勝手に生まれてくるものです。整理整頓法なんかもありません。勝手に整理されてくるのです。正しく仕事して能力向上する。それが正しい順番です。仕事することが能力向上の道です。
(文責:佐藤哲朗)
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
スマナサーラ長老の「上座仏教教室」(2008年1月24日ゴータミー精舎)質疑応答より。
Q 八ヶ月も冥想続けて、何の体験もない。同じところをグルグル回っている感じがします。本を読んだりすると、冥想していろいろ体験を得る人もいるみたいですけど……
A (冥想をして何かの現象、神秘体験を求める人は、)残念ながら、冥想で成功しない道を選んでいるようです。ブッダの道からかなりずれています。これって困ったもので、人が真面目に冥想しようとすると、誰かが横から口を挟んで、道を壊してしまうのです。なんて慈悲がないことかと思います。自分に(冥想を成功)出来なくたっても、(冥想を)やる人にはやらせておくべきでしょうし。
だから、そういう妄想概念を目指して冥想しても、それは冥想ではないんです。「妄想をやめるために冥想する」んです。どうしてそんな無責任なことを書いてある本を読むんでしょうか? なんでそういう無責任な人の話を聞くんでしょうか? これはブッダの道じゃないんですよ。
これはすごいぞ、あれができるぞ、と餌を出して人を引き寄せるのはブッダの道ではないんです。神秘体験があるんだ、俺もやるぞ、というのは、餌に引っかかっているだけでしょうに。それは歩む道が違います。
2007年12月23日に開催された、スマナサーラ長老による今年最後のダンマパダ(法句経)講義のメモを掲載します。
na bhaje paapake mitte.
悪友とつきあってはいけない、
na bhaje purisaadhame.
卑しい人とはつきあってはいけない。
bhajetha mitte kalyaaNe.
善友とつきあいなさい、
bhajetha purisuttame.
尊い人間とつきあいなさい。
(Dhammapada 78)

これは一般的な教えです。お母さんも言ってくれる、決して珍しくない言葉です。
なぜ悪人と手を切らなければいけないのでしょうか。
それは、「影響を受けるから」です。
人付き合いとは互いに影響を受けることです。
関わりを持って生きることは影響を受け合っていることです。
物理的な関わりではなく心の関わりなのです。
生命とのつきあいは確実に心のふれあいになります。
しかも、影響は一方的ではないのです。
強い人の影響を弱い人が受けるのです。
「朱に交われば赤くなる」のは、本人が弱いときです。
本人の心が強ければそうならないのです。
これは、法則として覚えておくべき事です。
どうしても仲間に入りたい、人とつきあいたい、友達をつくりたいと思っているとき、危ないのです。自分の芯が弱いからです。「誰でもいいから友達がほしい」という状態は危険です。相手の影響をもろ受けます。芯が強い人は、無理に他人とつきあいたいと思わないのです。
「ブッダの「無価値」論/ブッダの道徳・世間の道徳」(48分27秒)をダウンロード
アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話ポッドキャスティングです。2007年6月9日 「ヴィパッサナー冥想と法話の会」(ゴータミー精舎)での質疑応答より。以下、講義のメモと併せてお聴きください。
●ブッダの無価値論
Q:何冊か長老の本を読みました。その中で「心を壊してしまう」という一節を読んで怖くなった。心を壊してしまってホントに大丈夫なの?
A:その文章の脈絡が解らないと言いにくい。しかし仏教は幸福の道を語るから、仏教の言葉に怖くなる必要はないんです。仏教は幸福になるために、不幸の原因を壊すんです。不幸の原因に「価値」を入れるとそれが残ってしまう。なぜ幸福になれないか? ずっと原始時代から人類頑張っている。いろんな開発しながら、発展しながら現代まで。目的は一つ、「幸福になりたい」と。宇宙にまで行くけど一向に幸福にならない。あらゆる技術あっても地球上の人に食べ物がない。いまだに人殺しもやめられない。原始時代からいままで人殺しをやってきた。ぜんぜん幸福になってない。
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