仏教の堕落と再生/ほんとうの慈悲
「仏教の堕落と再生/ほんとうの慈悲」(25分25秒)をダウンロード
アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話ポッドキャスティングです。
(2007年7月14日 名古屋市日本ガイシフォーラムにて収録)
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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Comments
A・スマナサーラ長老の法話を楽しく聞いております。
-- 自分流の解釈でお話を聞く?--
お釈迦様の教えは正しい。
しかし、経典を読んでも、法話を聞いても、人々は自分流の解釈で自分に都合の良い教えを持つと、私は聞きました。
なぜ、人々は自分流の教えをもつのでしょうか?
それは、自我という色眼鏡で自分に都合の良い解釈をするためだと、私は聞きました。
人間の過去の経験や知識、伝承・習慣が既成概念となり、それを判断基準にしている為であると、長老が説かれているのだと、私は聞きました。
だから、『慈悲の瞑想』についても、
長老が"正知”の『慈悲の瞑想』を説かれているのに、それを聞いている人々が、自分流の解釈による、"誤知"の『慈悲の瞑想』をしている。
だから、何年瞑想しても、"誤知の瞑想"では、”お釈迦様の慈悲の瞑想ではない”と私には聞こえてきます。
私は、法話をお聞きしていますが、疑問というものが生じません。
とても、不思議なことです。ただ、直後に心が喜ぶだけです。
長老の法話を聴聞しても、まったくその通りであると、直後に心が喜ぶのです。
ただ聞く、
そこに『私が思う』というものが感じられません。
『素直に聞きなさい』。
そのように長老が法話をされていると、私には聞こえてきます。
生きとし生けるものが幸せでありますように
Posted by: 枯葉りんらん | August 26, 2007 at 10:16 PM
--私の感じる本当の慈悲とは?--
仏教とは、仏陀の教えのこと
教えとは、思いやりと優しさ
ある日のことです。
私は、室内を静かに歩いていました。
「本当の私とは誰か」と自問しながら・・・、
悪いことをすれば後悔をする。
そのような優しい心が私に存在する。
その心に懸命に従おうとしている私がいる。
ということは、
私の主人公は、"その心"ではないか。
もし、一生その心に従えば、
"その心" が本当の私ではないか。
突然でありました。
冷たいものが身体を駆け抜け、
鳥肌が立ち、
床下に抜け落ちるような恐怖、
命も肉体も、
この世というもの全てを失う恐怖でした。
慈悲の心 それが私なのです。
本当の慈悲とは、無我の行為なのです。
それは、思いやりと優しさ
私は、このように感じています。
老いた母は私を見た瞬間、言いました。
『ヨシは死んでしもうたのう。顔が変わっている』
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
Posted by: 枯葉りんらん | August 27, 2007 at 01:49 AM