[Dhamma]パパンチャを破る-禅の物語『無門関』にちなんで
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●無明(avijjaa)とは、データ捏造機能“パパンチャ(papaJca)”です。
●パパンチャは存在を正当化し、永遠の天国を説く宗教までつくる。
●無明でない生命はいない。生命であることが無明です。
●無明の正当化が悟りを妨げる。
●無明を破るための助けとして語っているのが「無価値論」です。
『無門関』第38則「牛過窓櫺」、六祖慧能の継法、道元禅師の「心身脱落」といった禅のエピソードを引いて、パパンチャを破った先人たちの境地を語る異色の法話。
7月12日千駄ヶ谷区民会館「上座仏教教室」での質疑応答より。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~



Comments
初めて投稿します。
スマナサーラ長老の御法話を、
楽しく聞いております。
聞いていると嬉しくなります。
さて、
禅のエピソードをお聞きして、
私なりに感じたことを投稿します。
『牛の”しっぽ”』とは、
”悟った自分”が残っているぞ、
ということでしょうか・・・
『脱落脱落』とは、
脱落したことも脱落して無色透明、
自然(大慈悲)のままであること。
と、いうことでしょうか・・・
私の体験から、二つのお話は、
同じ事のように感じられました。
ありがとうございます。
Posted by: 枯葉りんらん | July 22, 2007 at 10:55 PM
私の思いは私だけのもの?
一般の人々は公案を聞いた瞬間に、
『なぜ?』と疑問が生じます
それが長年の習慣なのです
だから、公案を聞いた人々は
おもしろいほど引っ掛かります
『しっぽだけ、なぜ?』
と疑問が生じた瞬間に、
無明に落ちたのですね
『しまった!』
一瞬、私も落ちました。
だから、
尻尾について・・・
脱落脱落について・・・
恥ずかしい解釈を投稿しました。
『なぜ?』
この一瞬の心の【癖】を自覚すること”
このことが、
”ババンチャを破る”方法であると、
長老が説かれているのだ。
と理解して良いのでしょうか?
手品の種は”ばれてしまった”と、
お釈迦様が言われたことだと、
理解してももよろしいのでしょうか?
Posted by: 枯葉りんらん | July 31, 2007 at 01:35 AM